2011.4.5 東北関東太平洋沖地震『私の観た陸前高田市』VOL2

海に近づくに連れ信じられない情景が続々と飛び込み目頭が熱くなった。車内の仲間も皆『酷い、、、』と言葉を発した後暫く延々無言状態が続いた。『言葉が出ない』とはまさにコレなのだ。

数メートルもある高い木々の上に津波で流されたバケツや衣服などがぶら下がり、泥とガレキだらけの災害により開けてしまったダタっ広い延々と続く面積には数々の車が破壊され横転していた。子供用の色鮮やかな玩具も、誰かが心地良く弾いてたであろう何十キロもあるグランドピアノも何十メートルも流され鍵盤が剥き出しになっていた。

そんな道々を自衛隊の人達は車両が通るであろう道だけは真っ先に確保した模様で私達はその道を辿りまだライフラインが通っていない小さな部落や避難所へ向かった。

部落の一軒一軒を回り中に居る人達に声を掛け『物資を運んで来たので良ければ外へ出てみて下さい。近所の皆さんにもどうぞ声を掛けてあげて下さい。皆を集めて下さい。』そう話し持って来た段ボールを広げると一瞬に皆群がった。『大人用のオムツは無いですか?』『23.5センチの靴は無いですか?』『下着は無いですか?パンツだけでいいんだけど』『子供の玩具、本は無いですか?』『このズボンの上から履けるナイロンの内綿がついた温かい履物は無いですか?』『電池は無いですか?』四方八方同時に様々な人達から質問を受けてはそれを探して渡してあげた。

無い物は『今度必ず持って来ます!』と覚え、自宅の住所を聞き、JAZZRIZEくんはリストも作っていた。

一人の90近いオジイさんが近寄って来て『煙草持ってねえか?』と声を掛けられたので自分の煙草を渡した。

地震の時は何をしていた、あれからこうやって過ごしている皆口々に自分たちの現状を伝えたそうにしていたのでそれにもなるべく耳を傾けた。聞いてあげるだけでとても嬉しそうにしていた。『本当にありがとうございます!ありがとうございます!』と泣きながら両手を握って来たお年寄り。『住所と名前を教えて欲しい。こっちで養殖が出来る様になったら御礼に海産物を送りたい。何年かかるか解らないけど必ず何か恩返しをしたい』そう真直ぐな目で声を掛けてくれる人も居た。

メディアで取り上げられてる場所はほんの一部に過ぎない。まだまだ水、電気、ガスが通っていない所も多数。そういう部落や公民館を数カ所回りいろんな人の声と温度を感じた。盛岡から二時間程しか離れていない人達の現状だ。中には盛岡近郊の温泉地に国からの支援を受けて避難してる人もいる。が、身内が見つからないまま例えライフラインが通って無かったとしてもその場を離れる事が出来ない人も多数だ。自衛隊の配給を待ち水、僅かな食料、風呂にも入らずただただ日の光と共に起きガレキの中を親族を探しまわってる人達。例え『壊滅的』な状態でもその土地に長年住んでその場所を離れたく無い人達、様々だ。

一体何人の人と握手をして、何人の人の生声を聞いただろう。自分にしてあげられる事は後何があるのか常に頭と体をフル稼働させて避難所を巡った。もう何度も現場に通っているJAZZRIZEくんの指揮は全てに置いて的確だった。

オレンジ色の太陽が沈みそうな頃、私達は数カ所の避難所、部落巡りを終了し戻る事を決めた。皆延々と私達の車が見えなくなるまで手を振っている。『絶対また来てね!気をつけて帰って下さい!』という声。『これから暖かくなるからお互い頑張りましょう!』そう言った一人のオバアちゃんの声と夕日で照らされたガレキの合間を数人でジャージ姿でランニングをする中学生がとても印象的だった。

INFORMATION | 04.6.11 | No Comments


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