2011.4.5東北関東太平洋沖地震『私の観た陸前高田市』VOL1

2011.4.5火曜。震災から約三週間程。今までここ盛岡で震災直後に行ったUSTでの現地の生声放送、チャリティー、募金、と自分に出来る事を見つけ行って来た。店を閉める訳にも行かずあのスペースで出来る事。常に毎日朝起きるとそれを考えていた。そういう時間の中で『出来れば現場の状況が大きく変わる前に一度自分の足を運んでみたい。現場に行って出来る事もやりたい』とずっと考えていた。そのタイミングがやっと来た昨日、音楽でリンクした各県から集合した仲間達と被災地陸前高田に向かった。

『噂通り治安の悪い場所もあるから女性のボランティアはもう少し時間が経ってからの方がいいのでは?』という声もあったが何故だか居ても立ってもいられなかった。同じ県の人間が困っている状況で何か自分に出来る事があれば、そういう思いだけで物資と募金で集まったお金を持ち、汚れても良い格好で一路南へ向かった。

MOTHERでオープン当初から連日個展を開催してくれてる安比JAZZYSPORTでも御馴染み現秋田在住の『TOKIO ART』と盛岡インターで合流。積めこめるだけ集めた物資を一台の車に詰め込みその後奥州水沢へ。

exDJBARDAI、MOTHERでもフライヤーアートなどでお世話になってる奥州の仲間JAZZRIZEの事務所。ここで東京部隊、元渋谷レコードショップ『Sounds of Blackness』の関さん、カッチナスティ/JAZZYSPORTと合流。奥州で集まった荷物を更に皆で順に詰め込んだ。一台の大きなバンとTOKIO ARTの大きめな普通車は二台共物資でパンパンになった。エンジン音が若干重みで変わる程の物資を乗せ男性4名、女性自分を含め2名(ピスト乗りの女性友人アサミちゃん)で一路陸前高田市へ。

奥州からは車で約一時間半。この間に観た景色はまるであの『壊滅的』と言われるメディアからの放送が信じられない程穏やかでノンビリとなだらかな田舎道コースだった。ジミヘンを聴きながらTOKIOくんと今回の震災と原発の事について話しながら海沿いへ向かった。

『陸前高田』という標識を観る度に何故だか心臓がギュッ!と何かに掴まれる感じがした。もうすぐ被災地へ着く、そう思うと今まで感じた事の無い様な使命感、生々しい現場を観る事であろう様々な感情が入り交じった。

JAZZRIZEの誘導の元裏道を抜け沿岸に入ると電信柱がなぎ倒されていて、開けた道?と思い気やそこは全て津波で流された所謂メディアで言う『壊滅的』な現状だった。ここはまだ陸前高田のほんの入り口に過ぎなかった。

INFORMATION | 04.6.11 | No Comments


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